お久しぶりでござります。
ブログ開始してから仕事が増えてきたノブノブです。
仕事量を増やして対決を遅らせるつもりか神よ!な~んて感じの日々を過ごしており更新が滞っていますが、
『まだまだ、遊び足りないもんね!』
あと、1ヶ月ぐらいは繁忙期なので遅筆御免でございます。
そんな中でもインプットはしてました。
最近のフムフムは『世界がもし100人の村だったら』と『百匹目の猿』を読み直した時。
『100人の村』のオリジナルバージョンは環境学者かつ人口問題専門家であるドネラ・メドウズさんが1990年に書いたもので、それが加筆や削除なんかをされネットを介して伝えられたものだったんだね。
貧富の差を題材に記事を書こうと思って思い出した『100人の村』なんだけど作者のほうに興味がビンビンです。
『The Club of Rome』!!!かっちょい~!断然ローマクラブより『The Club of Rome』の方がカッコいいのだ。
そのカッコいいクラブに所属されているメンバーの共著が1972年に出版された
成長の限界―ローマ・クラブ「人類の危機」レポートこの本では『地球とは有限で、増えたりしないのに、世界人口、工業化、公害、食糧生産、資源減少は幾何級数的な勢いで拡大しているため、私たちは破滅に向かって進んでいる』と提言されているらしいです。マダヨンデナイノダ
読んでないけどビンビンくるねコレは。
『有限である』という意識が今後大切なのですよ、過去の『征服者』『権力者』なんかが思い描く『地球像』ってどんなだったと思う?
『土地も資源もお宝も取れるだけ取ってやれ』ですね。
地球の大きさも、何処にどんな大陸や島が存在するかも判っていなかった時代があった。
行けるトコまで行って、行った先に先住民がいたら侵略して奴隷化や殲滅。
フロンティア精神だグローバリゼーションだと御託を述べて気づいた時には
『征服できる場所などもう無い』ところまで来てしまっている。
なのに『土地も資源もお宝も取れるだけ取ってやれ』の考えのままだと貧富の差が広がってアタリマエだよね。
そんな限られたナカから巧く富を集中させるシステムが
『過剰な便利さの提供』なんだね。
本来、
『資本主義』とは資本を投下して大量生産を可能にし
『安価な製品を大多数に広める』役割があったはずで、さらに競争原理を働かせる事で
『より良い製品が開発される』目的もあったのにね。
『良い品物を安く大量に行き渡らせた』後に
『役割を終えず』にいると『過剰な便利さの提供』に走り始める。
これは商品だけじゃなく土地についてもそう、一都市部だけに過剰な便利さを詰め込む事で必要以上に土地代が上がる。
それは、その土地で商売をする店にも影響するし住む人にも影響する。
『過剰な便利さの提供』を求める人は
『自ら吊り上げた価値に対して自ら支払う連鎖』を繰り返し、
振り落とされるまで気づかないのかもしれない。
都市部に集中する『過剰な便利さ』の一部だけでも地方に再分配すると『より豊かになれる』のに。
豊かさの定義は人それぞれかもしれないけど決して『歩いて5分圏内にコンビニが5件ある』事ではないよね。
『成長の限界』には釣り合いのとれた状態という考え方も書かれているらしい、絶対読まなきゃだわ。
『百匹目の猿』のほうは例の『ある事柄を認知する者の数がある割合を越えると同時多発的に世界に現れる』とするアレであるけど、どうやらあまり実証的根拠は無さそうです。
実例だけが多数あるみたいで、電話の開発やら数式の解明やら飛行機の件やら色々。
スピリチュアルなモノなのか必要がそうさせるのか謎だね~。
知り合いのオッチャンが発売当初の『セグウェイ』を見て
『あれは俺が考えてたもんだ!』って言ってたしw
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